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半世紀以上生きてきた私が躁鬱病の寛解まで復活した経験とカウンセラー・メンタルトレーナーとしての言葉を綴ります。

連載「私の恋文」第1回

◇◆はじめに◇◆




これから私が書くお話は実話です。


ただ、


原作:連城三紀彦


主演:渡部篤郎、和久井映見


「恋文」


というドラマと内容が酷似しています。




しかし、実話なのです。


興味のある方はお読みください。




◆◇ピアノとの出逢い◆◇




私の大学生時代はほとんどがサークル活動の日々でした。


「ピアノ研究会」




私は生まれつき目が悪く、母親が、「目がダメでも耳は大丈夫」ということで、


貧しい生活をしているにもかかわらず、7歳のころからピアノを習わせてくれました。




最初は、父が大型ゴミで拾ってきた足踏みオルガンで練習していました。


ところが周りの予想を遙かに超えて、私は日々上達してゆき、


半年後にはバイエルを修了。先生から「そろそろピアノにしませんか?


この子の才能は私が保証します」と言われるほどでした。




しかし、炭鉱社宅の長屋に住んでいる我が家にピアノなんて


高価な物を購入する余裕はありません。




私はそれを知った時、初めて我が家が貧しいんだということを知りました。




ピアノの先生は無償でレッスン日を増やしてくださり、厳しくも愛情あふれる


指導をしてくださいました。




そして、1年が経ったある日、学校から帰宅すると居間に、周りと不釣り合いな


黒く輝くアップライトのピアノが届いていました。




私には腹違いで14歳離れた兄がいるのですが、その兄がローンを組んで、購入してくれたのでした。


最初に鍵盤に触れたときの感動は未だに忘れられません。、




それから私はピアノ三昧の生活が送れると思っていたのですが、


我が家にはもう一つ問題がありました。




父が三交代の仕事をしていたので、昼間にピアノを弾けない日が多かったのです。


おまけにその父は酒乱。毎日のように母に手をあげていました。




そんな家庭で私は許された時間はピアノに熱中することで現実を一瞬でも


忘れることができました。




学校では病弱でひ弱な私はいじめの対象になり、ピアノが上手いと評判になると、


「男のくせに、ピアノを弾いとう~」と冷やかされていました。




私が不登校にも引きこもりにもならなかったのは「ピアノが他人より上手い」という


自負があったからでしょう。




今の時代では考えられない状況でした。




~第1回おわり~




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