カウンセリング・メンタルトレーニング・お悩み相談やっています!

半世紀以上生きてきた私が躁鬱病の寛解まで復活した経験とカウンセラー・メンタルトレーナーとしての言葉を綴ります。

連載「私の恋文」第2回

中学生になると、当時はフォークソング時代で、友人に誘われて、フォークソングに


はまりました。




しかし、目標は「ピアノ」で食べていくこと。


厳しいレッスンを受け続けました。




当時は「3年B組金八先生」のシーズン1が放映されていた時代で、


私の通った中学校はドラマと同じ状態の「荒れた学校」でした。




私はピアノが弾けるだけではなく、成績もまあまあで真面目だったので


クラス委員に選ばれることが多かったです。




そういう生徒はいじめの対象となりやすく、ひどい暴力も受けました。




しかし、ある日を境に私の人生は逆転しました。




ある日、また暴力を受けて血だらけの私を見た女子生徒達が、


「鶴添くん、先生に言わないとずっとやられるよ」と言って私を職員室へ


連れて行ってくだました。




すると先生は、「君はクラス委員だから、クラスのことは君に任せる。私は忙しいんだ」と。




私は耳を疑いました。後でわかったことですが、その先生は昇任試験を受けるために


勉強していたということでした。




その先生の言葉で、私は真面目に生きていくことが馬鹿らしくなり、不良グループの仲間に入り、


校舎のガラスを割ったり、先生の車を壊したり、ドラマののように道を転げ落ちていきました。


ただ、その頃に「なぜ先生はあんなことを言ったのだろう。俺も教師になって確かめたい」と思うようになっていました。




「音楽の先生になりたい」。そう決めた私は前にも増してレッスンに励みました。


高校も音楽系の高校を探し、音楽の勉強を本格的に始めようと思いました。


しかし、男子が通える音楽系の高校は一つしかなく私立で学費も高額。


貧しい我が家にそんな余裕はなく、両親や兄弟の「高校は普通科に行って大学は音楽大学に行けばいい」


という言葉の通り普通科の高校を受験することにしました。




不良になる前の志望校(進学校)とはほど遠い普通の高校を受験し、たいした勉強をしていなくても合格しました。


それでも高校は荒れた学校ではなく、普通の高校生活を送るつもりでした。




~第2回おわり~




私のサイトです。

https://mental-counseling.com/




クリックしたくない人は


「カウンセリング 鶴添」で検索!(LINE電話・skype・zoom・hangoutsもできます)




メルマガつるちゃんの「心のサプリ」
毎日発行!
登録をお願いします!読者急増中!

https://www.mag2.com/m/0001683997.htm

×

非ログインユーザーとして返信する