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半世紀以上生きてきた私が躁鬱病の寛解まで復活した経験とカウンセラー・メンタルトレーナーとしての言葉を綴ります。

連載「私の恋文」第4回。

大学は国文学科には入ったものの、1年生の間は一般教養ばかりで、講義には興味が持てず、
(今の大学は違うそうですね)学内をぶらぶらしていたある日、新入生歓迎の催しがあり、
いろんなサークルの人からお誘いを受けました。少林寺拳法とか(笑)…。


どれにも興味を持てずぶらついていると、アップライトの電子ピアノを弾いている先輩がいました。
(サークル会館4階から階段で運ぶんです…)。男性だったので珍しいなあと思って、立ち止まっていると、
おもむろにやさしそうなお姉さんが、「ピアノに触れてみませんか?」と声をかけてきたので、
「暇つぶしでもしてみるか」と思って、得意の曲(ショパンの英雄ポロネーズ)を弾き始めました。


すると、だんだん人目を感じるようになり、弾き終わると拍手が沸き起こりました。
元来目立ちたがり屋の私は久々快感を得ました。
群衆の中から、会長を名乗る先輩が、「ちょっとレベル違うけど、良かったらうちに入りませんか?」
悪い気はしなかったので、その場で仮入部のサインをしました。


部室に入ってみると、予想とは違い、個人練習は時間帯を区切っているボードはありましたが、
(もう一台部室に残っていた)ピアノを弾いている人はおらず、部員達は談笑していました。
いろいろ話してみると穏やかな人ばかりで個性も豊かで今までに経験したことのない心地よさを
感じました。


同じクラスにも「ピアノ会」に入っている学生がいて、その娘と仲良くなりました。


同時に私がやりたかった右翼運動に関わる団体はなく、70年代左翼の生き残りの団体があるだけでした。
ただ、自治会というものがあって、ここは政治的なものを感じず、おだやかに論議し合える場でもあったので、
よく顔を出していました。


きっかけは各クラスに作られる「コンパ委員」(要するに宴会の幹事役)が仲良くなり、(彼ら彼女らとは卒業後も付き合いが
続くことになります。)その集会が自治会で行われたことでした。


半年経っても相変わらず講義には興味が無く、サークルと自治会で過ごす毎日でした。
今はどうなっているかわかりませんが、当時のサークル会館は24時間開放されていて、自宅が遠い私は、
サークル会館に泊まったり、友人の下宿に泊めてもらうことが多かったです。


国文学科は女子学生が多く、サークルも女子部員が多く、今までにない環境に、最初はとまどいがありました。
それまで全くもてなかった私はかすかな期待を抱いていました。
しかし、女友達はたくさん出来ますが恋人はまったく…。


それでも、恋人が欲しかった私は、ひたすらアタックしまくりました。
数打ちゃ当たるわけでもなく、自分の評判を落とし続ける一方でした。


そしていつの間にか、私は夜一人で部室のピアノを弾いて過ごすことが多くなりました。
そんな時の女子学生との出逢いが物語が本題です。


余談ですが、入学したとき、部室にはグランドピアノがなかったのですが、先輩方の考えで、
グランドピアノを購入することになりました。
「ヤマハ」にOBがいらっしゃり、当時のお金で80万円のピアノを準備してくださいました。
毎月一人1500円を4年続ければ完済できる計算でしたが、私が卒業するときに、計算通り
返済できました。
そのピアノが今残っているのか知りたいところですが、卒業後一度も部室には行っていません。
どうなっていることでしょう。あまり評判のいい会長ではなかったので、後輩には慕われなかったし。
思い出の場所に35年後も行けないでいます。


~第4回おわり~


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