カウンセリング・メンタルトレーニング・お悩み相談やっています!

半世紀以上生きてきた私が躁鬱病の寛解まで復活した経験とカウンセラー・メンタルトレーナーとしての言葉を綴ります。

心のマスター。

一緒に心のマスターになりませんか?
『心のマスター』とは私の尊敬する、ある寺の住職の言葉で、『思い通りにあやつれる心を持った人』といった感じの意味の言葉です。
仏教の世界で理想とされるのは、周知の通り『悟りを開いた境地』です。
僧侶は厳しい修行によって『心の安寧』を目指します。
僧侶でなくても、人は誰でも『心の安寧』を求めているはずです。
我々カウンセラーのもとを訪れてくださる、または連絡をくださるクライアントの方々も究極的には『心の安寧』を求めているおられるのでしょう。
件(くだん)の住職は、自分もまだ『マスター』ではないといいます。何十年も厳しい修行をしてこられた住職でさえ、そういうのです。
私なんぞまだまだひょっ子です。
ただ、自分の、そしてクライアントさまの心のために、心理学を初めとしてたくさん勉強してきましたし、経験も積んできましたし、これからも続けていきます。
さらに、住職はこうもいっています。『何事も、心・技・体が大切であり、体が最初の入口になる』と。
カウンセリングもそうです。
まず型を学びます。カウンセリングは型さえ学べば『カウンセリング』をすることはできます。しかし、第一歩の、クライアントさまの心を開くためには『技』が必要です。さらに、技だけでは、クライアントさまの悩み・苦しみを癒すことはできません。
私がカウンセラーを目指したきっかけは、うつ病で傷ついた自分の心を癒すために心理学の勉強を始めたことです。
何年か学ぶうちに技を身につけ、少しずつ『心』をコントロールできるようになっていきました。そして、カウンセラーの仕事で生活できるようになりました。
しかし、自分の心さえ、時には落ち込み、時には怒りというように完全にはコントロールできていません。
仏教の話に戻りますが、お釈迦様が悟りを開かれて以来、気が遠くなるほどの年月が経ち、数えきれないほどの人々が、その教えを信じて修行をしてきました。その人々が悟りを開けないとあきらめて修行をやめることが多かったならば、現在まで仏教は残っていないでしょう。
仏教に限ったことではありません。キリスト教などどんな宗教でも、古代から現代まで続いているということは、その先に『心の安寧』があるからにほかなりません。
では、どれくらいで理想の境地に達するのか?それはだれにもわかりません。
しかし、件の住職は言います。『ひたすら鍛練を続けなさい』。これが真理だと思います。必ず報われると保証されることを望むのは無理な話です。
カウンセリングもお悩み相談も同じことが言えると私は思っています。私は『必ず解決できる』と謳うつもりはありません。もちろん解決できることのほうが多いです。そうでなければ、リピーターさんや口コミで連絡を下さる人はいないでしょう。
ただ、ここで私が言いたいのは、私は『心のマスター』になるために鍛練を続けているということ、そして、クライアントさまにも『心のマスター』を目指してついてきていただきたいということです。


これからも、住職のいう『鍛練』を続けてまいりますので、どうかよろしくお願いいたします。

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