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半世紀以上生きてきた私が躁鬱病の寛解まで復活した経験とカウンセラー・メンタルトレーナーとしての言葉を綴ります。

私とピアノ。

私はこのブログで、幼いころ貧しくて


母の愛情もるか足りなかったことをよく書いていますが


母に感謝していることもあります。




それはピアノを習わせてくれたことです。




理由は私が生まれつき目が悪かったけれど


歌が好きだったので、


目がダメでも音楽ができれば役に立つ


と発想したからです。




これだけは母に感謝しています。




当時は男子がピアノを弾くのは珍しくて


私は近所ではちょっとした有名人になりました。




いじめもありました。


「男の癖にピアノを弾いとう」


とからかわれました。




しかし、小学校の間の成長は


ピアノの先生をはじめみんなを


驚かせました。




父親が三交替で働いていたので


毎日練習が出来るわけではありませんでした。




さらに、当時は炭坑長屋に住んでいて


ピアノを置くと家が傾きそうでした。




ところが腹違いの年の離れた兄が


ボーナスで立派なアップライトのピアノを


買ってくれたのです。




最初の3年は大型ゴミから拾ってきた


足踏みオルガンで練習していたのですが、


ピアノの先生が、「この子は才能があるから


本物のピアノで練習させるべきです」と言って


くれたのです。




ですから私がピアノを続けられたのは


周りの人の応援があったからです。




小学校・中学校といじめに遭っていましたが


ピアノがあるから元気でいられました。




しかし、高校二年生で進路を決める時に


厳しい現実の壁にぶつかりました。




音楽大学を志望したものの、そのための


レッスン料、大学の学費、ひとり暮らしの生活費、


はとうてい我が家の家計ではまかなえないものでした。


アルバイトをしようにも病気がちな私には無理だと


考えられました。




そのせいで、私は目標を失い、荒れた生活をするようになり、


妥協して受けた地元の大学にも落ち、浪人することになりました。




なんとか大学生になったものの特にやりたいこともなく


大学の新入生歓迎イベントに参加したときに出会ったのが


「ピアノ会」というサークルでした。


お試し入部でピアノを披露したときに絶賛され、


ひさしぶりに楽しさを感じることができました。




そのサークルで4年の間、2回部長になり、プライベートでも


バンドを組んだり、文学部なのに、音楽に没頭しました。




3回生のときに地元のバンドでギターを担当していた5歳年上の


女性と付き合うjことになりました。




それが今の妻です。




私の家庭には問題がありましたが、この「ピアノ」の


件については感謝しかありません。








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